連続ブログ更新3日目という自慢にも何にもならない数字でいつまで続くかなとドキドキしている小心者の蓮田です。
まあ、毎日更新しようがしまいがある程度俺の自由だしこれが有料で課金されるメルマガやWebサロンならいざ知らずタダだしね。
読むも読まないも自由です。開いて途中でやめてもらっても構いません。これを見ているあなたに選択肢と決定権があります。
いつも思っていますが、映画も舞台もその受け取り方は観客のモノであり限りなく自由であって欲しいと願っています。
演じる時にも俺なりに気をつけているというか、「コレ(characterの意図する事とか色々)を見ている人に伝えたい」と思わないようにしています。
俺が芝居で怒ろうが哀しもうが喜んだり楽しんだりしようが、それを見たお客様がそれをどう受け止めるかは自由でなくてはならないと思っています。
そもそも、映画や舞台はテレビと違って選択肢の少ないものです。
途中で音量の調節とか出来ないし。笑
こちらの出すものを受け取ってもらう事に関してはかなり勝手な表現方法です。
出向かないと見られないしね。
だからこそ、その解釈や理解、つまり観客の感動だけはこちらが押し付けてはいけない。
感動と一口に言っても笑ったり泣いたりする事だけでなく「心の振幅」というか。
感じて心が動いたもの全て、それは誰も侵す事の出来ない唯一の人間の自由じゃあなかろうか。
自由にしてるって言っても社会で生きていれば当然ルールがあって、そこに沿って生きなければならないワケです。
エンターテインメントでの感動だけは不可侵です。
作り手は皆そう思っているんじゃないかな。
でも、たまに見かける。
映画や演劇のチラシ、ポスターにありがちな残念なの。
ラスト涙が止まりません。
とか。
◯◯な感動をあなたに。
とか。
物語を端的に言い表す美しい言葉のキャッチコピーって沢山あるんだけどたまにこういうのを目にする。
そこはこちらに(見る側)委ねて欲しい。
切に思う。
商業的に必要な事もあるんだろうけど。
実はそれが良いとは思わない。
観客自身が「ラストシーンで泣けなかったから分かっていない」とか、「◯◯な感動がなかった」からどうだとか。
そういうしょーもなな感想になったら演劇や映画の本質からかけ離れてしまう。
受け取り手の自由を奪わないで欲しい。
特定の作品を指すとただのdisりになるし小心者の蓮田にはそんな勇気はない。
それにその作品でその通りに感動した人もいるし、それは素晴らしい事だし。
エンターテインメントでの感動は、唯一無二あなただけの、私だけものでその時我々は唯一誰にも影響されない主人公としての自由を手に入れる。
演劇や映画の楽しみ方の一つは「自分だけの自由」を手に入れられる事じゃないか。と思っている。そしてそれも俺の自由な捉え方なので決して押し付けないんだけれども。
一歩外に出れば社会という規範の中でワガママな自由は通用しない。
・・・そんな事ないか。
蓮田がブログを書くのも書かないのも俺にとってそこそこワガママな自由だ笑
だからこれを読むも読まないも開くも開かないもあなたの自由です。
じゃ、また。
蓮田キト